東京地方裁判所 昭和30年(ヨ)6254号 判決 1956年5月15日
債権者 田中商事株式会社
債務者 東方化学工業株式会社
主文
本件仮処分申請は却下する。
訴訟費用は、債権者の負担とする。
事実
第一債権者の主張
(申立)
債権者訴訟代理人は、「債務者は、登録第三八六、五九八号実用新案権の権利範囲に属する別紙<省略>図面表示のような厚肉な肩部(1) 、底部(2) 及び薄肉な胴部(3) をビニール系柔軟性合成樹脂をもつて同一体に成型した柔軟胴容器を製造販売もしくは拡布してはならない。債務者の右構造を有する製品及び半製品に対する占有を解いて、債権者の委任する東京地方裁判所執行吏に保管を命ずる。」旨の判決を求め、その理由として、次のとおり、述べた。
(理由)
一、田中三七次郎は、その考案にかかるビニール系柔軟性合成樹脂をもつて成型した柔軟胴容器の構造について、昭和二十六年十一月十四日登録により申請の趣旨第一項掲記の実用新案権(以下本件実用新案権という。)を得たが、同人は、昭和三十年七月二十五日、これを同人が代表取締役である債権者会社に譲渡し、債権者会社は、現に、本件実用新案権の権利者である。
二、しかして、本件実用新案権の権利範囲は、「別紙図面に示すように、厚肉な肩部(1) 、底部(2) と薄肉な胴部(3) をビニール系柔軟性合成樹脂をもつて同一体に成型した柔軟胴容器の構造」である。
三、債権者は、昭和二十八年一月から、本件実用新案にかかる構造の柔軟胴容器の販売を始め、その後釜屋化学工業株式会社にその製造を実施させ、同会社とともに、右容器を販売してきたところ、昭和二十八年十二月頃から、債務者が、その肩書地においてポリエチレンを原料として別紙図面表示のような形状の柔軟胴容器を製造販売もしくは拡布するに至つた。
四、右債務者の製品は、本件実用新案にかかる容器の形状と全く同一であり、更に、その素材であるポリエチレンは、ビニール基を有する物質であるから、ビニール系柔軟性合成樹脂に包含されることは疑いないところである。仮りにポリエチレンがビニール系合成樹脂でないとしても、本件実用新案公報の記載によれば、その素材は「塩化ビニール重合物、醋酸ビニール重合物もしくは、それらの共重合物の柔軟性なる材料」であり、その性質及び作用効果は「金属板、ゴム、セルロイド製の従来のこの種の容器に比較し弾力性を有し、酸、油、四塩化エチレン等に耐え得る性能を有し、胴部を押圧することによつて内容物が噴出し、押圧力の除去により、容器は、直ちに原形に復する」ものである。右記載により明らかにされたところと債務者の製品とを比較するに、両者の素材は、ともにビニール基(CH2=CH)を有する化合物であり、分子構造上甚しく類似しており、加えて、債務者の製品も前記同様の作用効果をもつことは明らかであるから、債務者の製品の素材は、債権者の製品のそれと同一もしくは類似品であり、本件実用新案権にてい触するものである。したがつて、債務者は、右物件の製造販売もしくは拡布によつて、債権者の有する本件実用新案権を侵害するものであるが、債務者は、債権者の再度にわたる禁止の要求にかかわらず、依然その製造・販売を続けている。
五、よつて、債権者は、債務者に対し、本件実用新案権に基き、その侵害行為禁止請求等の本案訴訟を提起しようとするものであるが、債務者は、現に右製品の売上高月額百五十万円から二百三十万円に相当する製品の製造、販売をしており、債権者と債務者の商品は、その需要先が同一であるため、債権者は債務者の右権利侵害によつて、売上の減少その他により、前記釜屋化学工業株式会社の分も含めて、現に、月額拾五万円以上相当の損害を蒙りつつあるばかりでなく、近時、この種容器の需要は、漸次増加する傾向にあるので、更にその損害が増大することは明らかなところであり、本案訴訟の判決確定を待つていては、債権者は、回復し難い損害を蒙ることとなるので、これを避けるため、本件申請に及ぶものである。
六、なお、債務者は、本件実用新案公報添付の図面において、肩底の両部と胴部の肉厚について、特段の割合差を定めているからそのような割合差をもたない債務者の製品は、本件実用新案権にてい触しない(債務者の主張の項二の(一))と主張するが、「ビニール系柔軟性合成樹脂」を素材とする柔軟胴容器は、従来のこの種の容器に比し、柔軟性、弾力性及び耐薬品性を有し、とくに胴部を押圧することにより内容物を噴出させ、押圧力の除去により容易に原形に復する作用を持たせるため、各部の肉厚に差を設けたことが、新規の考案にかかるところであることは、前記のとおりであり、債務者の製品も又同様の作用効果をもつ限り、別紙図面に表示されている各部の肉厚の割合差と全く同一の割合差をもたないからといつて、直ちに本件実用新案にかかる容器の形状と異るということはできない。
第二債務者の主張
(申立)
債務者訴訟代理人は、主文第一項同旨の判決を求め、債権者の主張に対し、次のとおり述べた。
(理由)
一、債権者の主張する事実のうち、前記一及び二の事実並びに三のうち債務者が債権者主張の頃から、ポリエチレンを素材とする柔軟胴容器を製造、販売していることは認めるが、その余の事実は否認する。
二、債権者の商品の構造は、本件実用新案にかかる製品の構造とは、次の二点において、全く異るものであり、したがつて、債務者は本件実用新案権を侵害するものではない。すなわち
(本件実用新案の構造との差異)
(一) (形状において)本件実用新案にかかる柔軟胴容器は、その形状において、別紙図面表示のような「厚肉な肩部底部と薄肉な胴部」を有すること、すなわち、肩部、底部の肉と胴部の肉の厚さとが特段の割合差をもつこととなつているが、債務者の製品の形状は各部の肉厚は均等である。したがつて、債務者の製品は本件実用新案の容器とは、全く、その形状を異にする。但し、債務者が現に製造している容器の中には、両部の肉の厚みについて僅少の割合差をもつものもあるが、これは、容器の製造工程における技術的制約の結果生ずるもので、このような形状の容器は、本件実用新案登録出願日(昭和二十五年三月二十九日)以前から、国内において、公然知られ、もしくは公然用いられていたものである。
(二) (材料において)債権者は、「ビニール系合成樹脂」とは、塩化ビニール、醋酸ビニール、ボリエチレン等の総称であるからボリエチレン製の容器は本件実用新案にかかる容器とその素材を同じくするものであると主張するが本件実用新案公報の「実用新案の性質、作用及び効果の要領」の項の記載によれば、「ビニール系軟性合成樹脂」の概念は、「本案は、塩化ビニール重合物、醋酸ビニール重合物、又はそれらの共重合物の柔軟性材料」ときわめて限定されている、したがつて、本件実用新案における素材と定められている「ビニール系合成樹脂」は前記物質に限られるものと解するを相当とするところ、債務者の製品はポリエチレンを素材とするものであり、ポリエチレンは、前記のいずれの物質にも属さない異質のものである。この差異により債務者の容器と本件実用新案のそれとの素材に同一性がないこととなり、結局両者は、構造が異るという結果を招来する。
三、債権者の本件仮処分申請は、その必要性がない。すなわち、債権者は、本件実用新案にかかる構造の容器を製造、販売していないのであるから、仮りに、債務者の製否が本件実用新案にてい触するとしても、債権者は、それにより、何らの損害を蒙ることはない筈である。
<疏明省略>
理由
まず、本件における被保全権利の存否、すなわち、債務者の製品が本件実用新案にてい触するかどうかについて判断する。
(争いのない事実)
債権者が本件実用新案権の権利者であり、その権利範囲は、別紙図面表示のとおり、厚肉な肩部(1) 及び底部(2) と薄肉な胴部(3) とをビニール系柔軟性合成樹脂をもつて、同一体に成型した柔軟胴容器の構造であること及び債務者が昭和二十八年頃から、ポリエチレンを素材とする柔軟胴容器の製造販売をしていることは、当事者間に争いのないところである。
(本件実用新案権における素材と形状)
実用新案は、いうまでもなく、物品を媒介として形態的に表現されるものであるから、実用新案においては、常に応用すべき物品が特定されていなければならないし、また、考案は、物品を媒介として、考案が構成としてもつところの技術的内容を形態的に表現させるものであるから、このような形態的表現を可能ならしめ、その物品を同一用途目的のため生産させるもの、すなわち、その素材が類似の物質であると否とにかかわらず、素材である物品が考案の形態的表現として、形状の類似を招来するに至るときは、実用新案権にてい触するものと解するを相当とするが、本件実用新案における素材と形状との関係も、全く、右と同断の関係にあることは、その権利範囲の内容に照らし、きわめて明瞭なところである(このことは、証人天野次一の証言からも窺うことができる。)から、債務者の製品と債権者のこれとの異同を、便宜、その素材と形状の二つに分けて考察し、当裁判所の判断と見解を明らかにすることとする。
(素材の異同について)
債権者は、「本件実用新案にかかる容器の形状を表現する物質は塩化ビニール重合物、醋酸ビニール重合物又はそれらの共重合物であるビニール系柔軟性合成樹脂とされているところ、債務者の製品の素材であるポリエチレンはビニール系合成樹脂に属するから両者は、全くその素材を同じくするものである、仮りに、そうでないとしても、ビニール系合成樹脂もポリエチレンも、ともに、分子構造上ビニール基を有する化合物であり、かつ製品は、いずれも同一の性質及び作用効果をもつものであるから、それが、別紙図面表示のような形状をもつ限り、構造の類似を招来し、したがつて、債務者の製品は、本件実用新案権にてい触する」と主張する。
(ポリエチレンはビニール系合成樹脂かどうか)
よつて、まず、ポリエチレンがビニール系合成樹脂かどうかについて判断するに、成立に争いのない甲第九号証の一、二、同第十四号証の一、二、同第十五号証の一から三、同第十七号証の一から四、同第十九号証から第二十号証の各一、二、及び乙第一号証の一から、四、同第十二号証から第十四号証の各一、二、証人由丸厳の証言により真正に成立したものと認められる、甲第八号証の一、二、同第十六、第十七号証、同第二十三、第二十四号証、証人内藤忠の証言により真正に成立したものと認められる乙第七号証から第十号証、同第十五号証、債務者代表者本人尋問の結果に徴し、真正に成立したものと認められる乙第二号証、同第五、第六号証、同第十一号証、同第十七号証から第十九号証、同第二十三号証の一、二、並びに証人田丸厳、同木村道臣、同内藤忠及び同天野次一の各証言を綜合して考察すると、大要次のようなことが肯認される。すなわち、「ビニール系合成樹脂」の意義については、(一)重合系合成樹脂、すなわち、一般に合成樹脂といわれるもののうち、縮合系合成樹脂を除き二重結合をもつものの総称であるから、エチレンの重合体であるポリエチレンは当然「ビニール系合成樹脂」であるとする見解、(二)前記(一)のうちビニール基(CH2=CH)もしくはビニリデン基(CH2=C)を有する化合物の総称であり、塩化ビニール及びポリエチレンの分子式は次に示すとおりで、塩化ビニールはビニール基に塩素が、ポリエチレンは、ビニール基に水素が附加されたものである。
化学式<省略>
したがつて、(一)の見解と同様に、ポリエチレンは「ビニール系合成樹脂の一分類」であるとする見解、(三)更に、ポリエチレンはビニール基を有することは明らかであるが、厳密にいうと、ビニール基はエチレンの水素一個を他の分子で置換したものをいうが、エチレンは水素一個をも置換しないもの、換言すれば、エチレンは不飽和な炭化水素の中で最も簡単なもので、分類的には基本体として考えられるものであり、この意味において、ビニール基もしくはビニリデン基を有する重合物の特殊なものということができるし、ポリエチレンは、エチレンを高温で圧して重合させて作られる炭化水素だけの最も基本的な構造をもつものであるから、「ビニール系合成樹脂」と呼ぶことは適当でないとする見解等があり、しかも、この呼称は、前記の諸見解に基いてこれを使用する人により、又場合により、随意の内包をもつて使用されている現状で、学問上、いまだ固定した普遍的概念とはなつていないことが推認される。
したがつて、債権者の主張と同じように、「ビニール系合成樹脂」の中には、ポリエチレンも包含されるとする学問上の見解があるからといつて、直ちに本件実用新案権の内容としての容器の素材という特定の観点において、ポリエチレンは、いわゆる「ビニール系合成樹脂」に属すると断ずることはできない。換言すれば、『ポリエチレンが、本件実用新案権の権利範囲にいうところの「ビニール系合成樹脂」に属するかどうかは、以上の学問的諸見解を前提としつつも、これらとは、おのずから異つた観点から判定されなければならないものと考える。したがつて、これと考え方を異にする債権者の主張は、当裁判所の、にわかに採用し難いところである。
(形状の異同について)
債務者の製品であることについて争いのない検甲第一、第二号証、第六号証、検乙第一号証、第三、第四号証の各一、二を検すると、肩部及び底部と胴部の肉厚には相当の割合差があり、前二者は後者に比し、比較的肉厚な形状をもち、薄肉の胴部を押圧すると容易に内容物を噴出し、押圧力を除去することにより、直ちに原型に復することが認められ、更に、証人田丸厳の証言により真正に成立したものと認められる甲第三号証の一、二、成立に争いのない乙第三号証の一、二甲第十四号証の一、二及び前記乙第一号証の一から四によれば、債務者の製品は、従来の金属板、ゴム、セルロイド製品の容器の欠点を克服して、酸、塩、アルカリ等に耐え得る性能を有することが認められるので、その性質及び作用効果において、本件実用新案と少なからず類似するということができる。しかしながら、他面、前記乙第一号証の一、同第三号証、同第九号証、同第十四号証の一、証人木村道臣及び同天野次一の各証言を綜合して考えると、塩化ビニールは、それ自体硬質で、柔軟性及び弾力性に乏しいので、本件実用新案にかかる容器の素材は、主として塩化ビニールに可塑剤(合成樹脂によく混合し、これを軟かくする溶剤)を混入した軟質ビニールを用い、これによつて、押出力と復元力をもつた噴出容器としての実用性を備えさせるため、前記のような形状を有することを考案の要件としており、これに対して、債務者の製品は、素材であるポリエチレン自体が柔軟性を有し、極く低温においても可塑剤の助力なしに、強じん性、柔軟性及び弾力性を有し、薄い板は半剛体の性質を多分にもつが、成型物に使用する場合は剛体となるため、容器を押圧すれば内容物を放出し、押圧力を除去すれば容易に原型に復することができ、しかも、右の技術的内容を備えるため、本件実用新案におけるように、とくに、肩部、底部と胴部の肉厚について顕著な差等を設ける形状を必要としないことが一応認められ、これに反する疏明はない。これによつて見れば、本件実用新案にかかる容器における構造は、債務者の製品のそれと、本来的に異質なものであることが明らかである。すなわち、本件実用新案の権利範囲に属する容器は、その素材が「ビニール系合成樹脂」であることにより、その構造は、その作用効果に奉仕するために、必然的に、右実用新案権の内容とされている別紙図面表示のように、肩と底の両部が厚肉であり、胴部が薄肉であり、両者間に相当の割合差(必ずしも図に示された厚さの寸法の割合ではないが)をもつべきものと解される。これに反して、債務者の製品は、素材として、より多くの柔軟性、弾力性ないしは強じん性をもつポリエチレンを使用するが故に、本質的には、本件実用新案にかかる容器におけるような肩底部と胴部の厚さの割合差のあることを必要としない(製作課程において、たまたま若干の格差を生ずることは本件実用新案権の解釈としては問題とするに足ることではない。)ものと認めるのが相当である。
(再び、ポリエチレンが「ビニール系合成樹脂」に属するかどうかについて)
本件実用新案にかかる容器においては、その肩、底部と胴部との相当顕著な割合差をもつ構造であることが、その本質的特徴であること上に説示したとおりである以上、右容器の素材と債務者の製品の素材とは、前記の考案の形態的表現としての機能ないしは価値において、同一又は類似ということはできない。換言すれば右素材としてのポリエチレンは、本件実用新案権の権利範囲にいうところの「ビニール系合成樹脂」と同一又は類似のものであるとすることはできないものといわなければならない。もち論、当裁判所の到達したこの結論は、ポリエチレンが化学的にビニール系合成樹脂に属するとする見解のもつ学問的正しさを否定しようとするものではないことは、注意深く理解さるベきことである。当裁判所は、一般に、右のような見解の必ずしも誤りでないことを是認しつつも、本件実用新案の権利範囲の解釈決定という特殊の観点においては、右の学問上正しいとされる見解、したがつて、無条件にこの見解に立脚する債権者の主張は、直ちに採用し得ないとするものにほかならないし、また、それに過ぎないものである。
(結論)
これを要するに、本件において疏明された事実関係によれば、債務者が製造販売していること当事者間に争いのない柔軟胴容器は、その素材及び形状、すなわち、その構造において、本件実用新案にかかる柔軟胴容器と同一又は類似であるとは認め難く、したがつて、債務者は右容器を製造販売することによつて本件実用新案権を侵害しているものと認めることはできない。結局、債権者の本件仮処分申請は、被保全権利の存在についての疏明なきに帰し、もとより保証をもつてこれに代えることも適当とは認められないので、この点において、すでに理由のないものといわざるを得ない。よつて本件申請は、却下することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八十九条第九十五条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 三宅正雄 栗山忍 宮田静江)